大潟村は、日本最大の干拓地です。
村の全域は、かつて日本の湖で2番目の面積を誇った八郎潟でした。
八郎潟は、約70種類を超える魚類の宝庫でした。水深は最も深いところでも4~5mにすぎず、湖底の大部分はヘドロと呼ばれる肥沃な粘土質土壌におおわれ、平坦で干拓しやすい条件を満たしていました。
大潟村は、1964年(昭和39)10月1日に秋田県で第69番目の自治体として名乗りをあげました。
6世帯わずか14人の人口でスタートし、全国各地からの入植希望者の中から選抜された入植者は、干拓の目的である「日本農業のモデルとなるような生産およぴ所得水準の高い農業経営を確立し、豊かで住みよい近代的な農村社会をつくる」ことを担った日本農業のパイオニアとなりました。
総人口:3,002人 世帯数:1,161世帯
大潟村の「オ」の文字を図案化したもので、限りない大潟村の躍進を象徴しています。
昭和44年7月1日、応募作品のなかから選定されました。
八郎潟は平安時代の古文書によると大方〈おおがた〉と呼ばれており、それが後に「大潟」に変わったと伝えられています。
昭和39年7月22日、公募作品のなかから選定されました。
花いっぱい運動を通じて多くの住区などで栽培されるサルビアは、鮮やかな色彩で集落地内一円に初夏から秋まで咲き誇り、生活環境を明るく鮮やかに印象づけます。
村民が情熱をこめて村づくりに邁進する大潟村にふさわしい花です。
村内の道路沿い、集落地などに植裁された幼木が風雪に耐え、たくましく成長しました。
村を日本海の強風から守る防災の効果とともに環境の美観を高め、村になくてはならない、伸びゆく大潟村にふさわしい樹木です。
満々たる水をたたえた八郎潟に古い時代から毎年渡ってきています。干拓後も残存湖に飛来し、周辺住民からも愛されています。遊泳したり空を飛び交う優雅で格調の高い姿は村民の心をなごませ、大潟村のシンボルにふさわしい鳥です。
大潟村について
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